DONALD BYRD




 1932.12.9 - 2013.2.4


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ミシガン州デトロイト出身。艶やかで澄み切ったトーン、潔いフレージングといったプレイで、1950年代後半のハード・バップ期を勢いよく駆け抜けたトランペッター。

ドナルド・バードは、兵役を終えてニューヨークに進出したのは1955年、間もなくジョージ・ウォーリントン・クインテットに加入し、ジャッキー・マクリーンと共に名ハード・バップ・コンポとして人気を呼んだ。ウォーリントンのアルバム「ライブ・アット・カフェ・ボヘミア」にも参加。この時期の55年から56年に、トランジションというマイナー・レーベルに初リーダー作を含む3枚の優れたアルバムが残されている。又その間に、55年12月にジャズ・メッセンジャーズにケニー・ドーハムの後釜として加入。続く57年には、アルト・サックスのジジ・グライスとジャズ・ラブ・クインテットを結成する。

58年からはブルーノートに数多くのアルバムが吹込まれている。バリトン・サックスのペッパー・アダムスと双頭コンポを結成し、ライブ盤「ハーフノートのドナルド・バード」などを録音、61年までコンポはつづく。バードはこのブルーノートでファンキー路線へ進み始める。又61年に無名時代のハービー・ハンコックをクラブで発見し、すぐさま自己のグループに起用した。その後、フランスに渡って、ナディア・ブーランジェ女史に作曲法を師事したり、60年代後半には、コロンビア大学で黒人問題、公民権問題などの研究に従事して、71年には博士号を得ている。こうして60年代以降、バードは自らの活動の重点を学究面へと移しつつあった。

70年代からはフュージョン寄りのサウンドに移行し、マイゼル兄弟を起用したファンキーな72年作「Black Byrd」が大ヒット。引き続きこの路線の作品を作りヒットを出す。70年代後半にレーベルを変えたがヒットがなかった。この70年代の路線は90年代以降のクラブ・ジャズに大きな影響を与えている。

代表作 : フュエゴ