MAX ROACH




 1924.1.10 - 2007.8.16


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ノースカロライナ州ニューランド出身。ビ・バップ創世期以来60年代初頭まで、アート・ブレイキーと並びモダン・ジャズ最高のドラマー。

1940年代初頭ケニー・クラークの奏法を研究。40年代半ば、コールマン・ホーキンスのグループに参加。その後チャーリー・パーカーのダイアルおよびサヴォイ・レーベルに残したセッションとバド・パウエルのモダン・ピアノのバイブルと呼ばれるルースト盤「バド・パウエルの芸術」に参加して、大いに名声をあげた。次いで48,9年には、マイルス・デイヴィスの「クールの誕生」の九重奏団でロイヤル・ルーストへの出演とキャピトルへの録音に参加し、クール・ジャズ誕生の歴史的瞬間に重大な貢献をする。

50年代に入ってJATPに参加したあと、53年には、トロントのマッセイ・ホールで繰り広げられたパーカー、ガレスピー、パウエル、ミンガスというモダン・ジャズ・ジャイアントの一大サミットに加わり、名実ともにモダン・ジャズ最大のドラマーとしての地位を内外に誇示した。翌54年にはクリフォード・ブラウンとの双頭バンドを結成、ブラウンの名演と相俟って一躍人気コンポとなった。しかし56年6月、ブラウンとメンバーのリッチー・パウエルが自動車事故で亡くなる。ブラウンが25歳で死を遂げるが、なんとその4日前にソニー・ロリンズの代表作「サキソフォン・コロッサス」を録音していた。そしてブラウンの死の数カ月後、ローチの代表作「マックス・ローチ・プラス・4」を録音。又同年12月にはセロニアス・モンクの代表作「ブリリアント・コーナーズ」にも参加。

58年に、ローチはブラウンに代わる若手トランペッター、20歳になったばかりのブッカー・リトルを擁してバンドを結成。60年に入ると社会的な意識を織り込んだ問題作「ウイ・インシスト」を発表。結成から3年後、リトルが尿毒症で亡くなる。ローチはよくよくトランペッターに運がない人だという他ない。62年には、ミンガスと共にデューク・エリントンの「マネー・ジャングル」というピアノ・トリオの名作を録音するが、この年までが、ビ・バップ〜ハード・バップを通じて、マックス・ローチの全盛期だったといえる。60年代はジャズの主流が急速にフリーへ向かいはじめた。

70年代に入ると、コーラスとの共演やパーカッション・アンサンブルの結成など野心的な試み続け、72年以降は大学で教鞭をとり、70年代後半には、フリー・ジャズ系のアーチー・シェップ、セシル・テイラーらと共演を重ねた。それ以後も活動を続けた。2007年8月、ニューヨークの病院で亡くなる。

代表作 : マックス・ローチ・プラス・4