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  ジャズ・レーベル紹介     



◍  ブルーノート BlueNote 
ジャズの名門レーベルは他にも幾つもあるけれど、ことハード・バップに関しては、ブルーノートを凌ぐものはない。ブルーノートはジャズ専門レーベルとして、1939年にアルフレッド・ライオンによって設立される。40年代のスウィング、50年代のハード・バップ、60年代の新主流派を中心にした斬新なセッションと、このレーベルが果たした役割リは、それぞれの時代に大きなものがあった。プロデュースも務めたライオンはほとんど黒人ミュージシャンを起用、名エンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーの、芯の太いエネルギッシュな録音技術、多くの色を使わないダークなジャケット・デザイン。これらが一体となって魅力的なブルーノート・カラーが生まれていき、50年代後半ハード・バップが大きな脚光を浴びるようになる。ブルーノートの看板スターは、何と言ってもホレス・シルヴァーとアート・ブレイキー、この2人を加えたクインテットが54年にハード・バップの夜明けを捉えた歴史的ドキュメントを収録。翌年ジャズ・メッセンジャーズが誕生し、ハード・バップからファンキー・ジャズの時代にかけての最大の人気グループになった。それらと並行して、リー・モーガン、ハンク・モブレー、ドナルド・バード、ソニー・クラーク等のミュージシャンのフレッシュなレコーディングを次々と行っていき、60年代に入っても、グラント・グリーン、ハービー・ハンコック、フレディ・ハバード、ウェイン・ショーター等の素晴らしいアルバムを残す。そして66年にライオンは、ブルーノートをリバティーに売却。この後アメリカ以外でもレコードが発売される。85年にブルーノートは復活します。   
 
◍  プレスティッジ Prestige 
名門レーベル、プレスティッジはボブ・ワインストックによって1949年に設立された。この時期のジャズ界はビ・バップからクール・ジャズへの移行期にあった。ワインストックは当時の最も進歩的な白人ユニットであるリー・コニッツ~レニー・トリスターノの透明感漂うサウンドを録音、これが記念すべきプレスティッジ初セッションになった。しかしワインストックの本当の好みは黒人ジャズにあり、50年代前半は黒人ジャズにとって、決して恵まれた環境であったとは言い切れない。西海岸ではウエスト・コースト・ジャズが大きなスポットを浴びていて、イーストの黒人ミュージシャンたちの演奏は、陽の当たる場所にはなかった。その後バイタリティ溢れる黒人ジャズが、ハード・バップというムーブメントとなって一気に爆発するのが50年代半ば、マイルス・デイヴィスは「ウォーキン」、「バグス・グルーブ」など多くの傑作を吹込み、又ジョン・コルトレーンの「ソウルトレーン」、ソニー・ロリンズの「サキソフォン・コロッサス」、モダン・ジャズ・カルテットの「ジャンゴ」など彼らの代表作を含む多くの名盤がこのプレスティッジに残している。58年にワインストックが制作から離れると、エドモンド・エドワーズ、ドン・ジュリッテン等が、アルバムのプロデュースを引き継いでいったが、ソウル色の濃い作品が多くなって、ハード・バップ・レーベルとしてのカラーは次第に薄いものになってしまった。それでも59年にニュー・ジャズという傍系レーベルを発し、エリック・ドルフィーの歴史的ライヴを筆頭とする気鋭のジャズメンたちの素晴らしい作品が次々と発表されていき、かつての面影がわずかに継承されていった。そして70年代になってファンタジーに買収されてしまう。
 
◍  リバーサイド Riverside 
ブルーノート、プレスティッジと並んでモダン・ジャズ3大レーベルの一つと称されるリバーサイドは、1952年にオリン・キープニュースとビル・グラウアーによって設立される。キープニュースもグラウアーも、古くからのジャズ・ファンだったので、リバーサイド初期の吹込みにもトラッド系のものが多い。しかし、マサチューセッツ州レノックスにあった "ミュージック・イン "でピアノを弾いていたランディ・ウェストンを最初の専属アーティストに迎えてからは、モダン・ジャズにも目を向け、55年にまだ広く認められていなかったセロニアス・モンクと契約を結んで「ブリリアント・コーナーズ」、「ミステリオーソ」などの後世に残る傑作を次々に発表していった。この後、ビル・エヴァンスが「ワルツ・フォー・デビイ」、「ポートレイト・イン・ジャズ」などの代表作をリバーサイドに残す。そしてインディアナポリスにて、キャノンボール・アダレイに見出されたウェス・モンゴメリーも代表作「インクレディブル・ジャズ・ギター」、「フル・ハウス」などを吹込み、驚異のギタリストとして、このリバーサイドで名声を確立する。その他では、ジョニー・グリフィンが数多くのアルバムを吹込んでいます。あとウィントン・ケリーも、ブルー・ミッチェルもこのレーベルに代表作を残しています。リバーサイドはハード・バップの名門レーベルとしての名声をほしいままにしていきました。60年にはリバーサイドの子会社としてジャズランドが設立される。 63年にグラウアーが亡くなり、翌年リバーサイドは経営が悪化し、活動を休止。72年ファンタジー・レコードに吸収される。
 
◍  ヴァーヴ Verve 
プロデューサー、ノーマン・グランツにより1956年にヴァーヴが設立されたが、その前身としてクレフとノーグランがある。そしてクレフ、ノーグランの原盤の多くがヴァーヴから発売されていた。グランツはジャム・セッションをステージに乗せて興行化することを思いつき、44年にロスのフィルハーモニック・オーディトリアムで開催したコンサートを企画、これがJATP(ジャズ・アット・ザ・フィルハーモニック)と呼ばれるコンサート・シリーズのはしりになった。グランツは、マーキュリー・レコードのプロデューサーを務めながら、オスカー・ピーターソンやチャーリー・パーカー、レスター・ヤング等を録音し、51年に設立したクレフから、これらのレコードを発売。クレフにはアート・テイタム、バド・パウエル、カウント・ベーシー、ビリー・ホリデイ、ライオネル・ハンプトンといった豪華なメンバーで固められていた。さらに54年にノーグランを設立してからは、スタン・ゲッツ、タル・ファーロウ、ディジー・ガレスピーたちが専属に加わった。グランツはこれらの一流アーティストを使って、スター同士の共演などを含めて、膨大な量のレコーディングを行なった。ヴァーヴを設立してからも、例えばピーターソンは59年夏だけで実に100曲以上の吹込みを行い、この期間だけで10枚ものアルバムを作っている。そして、61年にグランツはヴァーヴをMGMに売却して一線を退く。クリード・テイラーがヴァーヴのプロデュースを行なうようになる。テイラーのもとで、ゲッツの「ジャズ・サンバ」などの大ヒットが生み出されたが、あとは一連のウェス・モンゴメリーなどの作品に見られるようにコマーシャルなものが多くなってしまい、グランツ時代とはまったくカラーの違うレーベルになってしまった。グランツは、73年にパブロを設立し、輝いた50年代のように、この新しいレーベルのほうで遺憾なく発揮されていた。時は流れ、ヴァーヴは1999年、ヴァーヴ・ミュージック・グループを発足し、世界的なアーティストを揃え、新たな躍進を遂げてたレーベルとなる。
 
◍  アトランティック Atlantic 
1947年にリズム&ブルース専門のレーベルとしてアーメット・アーティガンとハーブ・エイブラムソンが設立した。50年代から60年代のソウル・ミュージックは、このレーベル抜きにして語ることはできない。一方ジャズ・レーベルとして広く認識されるようになったのは、50年代半ばにアーティガンの兄であるネスヒ・アーティガンが制作スタッフに加わってからのことである。MJQをプレスティッジから引き抜き、56年「フォンテッサ」をはじめ数多く録音、チャールズ・ミンガスの一連のアルバムなどで評価を高める。そして、ジョン・コルトレーンの「ジャイアント・ステップス」、「コルトレーン・ジャズ」等の名盤を多く生み出し、又それまでのジャズの概念を大きく覆したオーネット・コールマンの「ジャズ来るべきもの」や「フリー・ジャズ」を発表。この後、ハービー・マンがライヴ作「ヴィレッジ・ゲイトのハービー・マン」で大ヒットを放ち、ジャズ・フルートの存在を一般に知らしめた。アトランティックは67年、ワーナー・セヴンアーツの傘下となり、現在はワーナー・ミュージック・グループに属するレーベルである。 
 
◍  エマーシー EmArcy 
エマーシーは1954年、マーキュリー・レコードのジャズ部門として設立されたレーベル。エマーシーは何よりもまず、ローチ=ブラウン・クインテットの名前の大部分を録音したレーベルとして、ジャズ・ファンに広く知られている。「クリフォード・ブラウン&マックス・ローチ」、「スタディ・イン・ブラウン」等のグループのアルバムは、ファンに深く記憶されるだろう。プロデューサーはボブ・シャッドで、ヴォーカルにも力を入れている。そして、ブラウンがローチとのクインテットに並行して行った注目すべき録音が、一連のシンガーとの共演。54年8月のダイナ・ワシントンに始まり、12月には立て続けにサラ・ヴォーン、ヘレン・メリルらとレコーディングを行い、これらはいずれも代表作になり、高い評価を得た。62年、エマーシーはフィリップスに売却し、活動休止になる。2000年代に新生エマーシーが活動を再開し、ヨーロッパ系アーティストを中心としたレーベルとして復活。62年活動休止前の音源は、ヴァーヴ・ミュージック・グループにある。
 
◍  コロムビア Columbia 
1888年にコロムビア・フォノグラフとして設立する。1938年に元子会社の放送局CBSに買収され、社名をコロムビア・レコードと変更される。53年に新しいエピック・レコードを設立、同時にCBSレコード・グループを作り、コロムビアとエピックの2つのレーベルを柱とする会社となった。ジャズ・レコードの方では、この50年代から60年代にマイルス・デイヴィスがモード・ジャズの傑作「カインド・オブ・ブルー」をはじめ、数々のモードから新主流派ジャズ作品を吹込む。又デイヴ・ブルーベックも〈テイク・ファイヴ〉の大ヒットが生まれた「タイム・アウト」をはじめとする数多くの作品がこのレーベルに残されています。その他では、チャールズ・ミンガス、J.J.ジョンソンなどが重要な作品を残しています。70年代になると、フュージョン旋風でマイルス、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポート等がこのレーベルから目覚ましい活動を繰り広げた。80年代にはブランフォード、ウイントンのマルサリス兄弟がここからデビューしていきます。88年にコロムビアはCBSレコード社ごとソニーに売却され、日系企業となっています。現在はソニーの子会社ソニー・ミュージックエンタテインメントに属しています。 
 
◍  インパルス Impulse 
ABCパラマウントのプロデューサー、クリード・テイラーによって1960年にジャズ専門レーベルとして設立された。初めはテイラーがプロデューサーを務めていたが、61年にヴァーヴへ移籍、代ってボブ・シールがプロデューサーを務め、名エンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダーと共にインパルスの黄金期を築き上げる。ジョン・コルトレーン・カルテットによる「ライヴ・アット・ザ・ヴィレッジ・ヴァンガード」や「至上の愛」など多くの名盤を生み出している。インパルスは、フリー・ジャズとしても有名なレーベルです。コルトレーンの「アセンション」で見られるようにフリー・ジャズの旗手を一堂に集めレコーディングを行い、問題作として話題を集めた。以後もフリーの作品を録音し続ける。又アルバート・アイラーの「グリニッジ・ヴィレッジのアルバート・アイラー」はフリーにおける最大の成果を成している。その他、アーチー・シェップ、ファラオ・サンダースなどもこのレーベルで重要な作品を残している。67年コルトレーンが亡くなり、勢いは衰えるが、70年代半ば、キース・ジャレットが「生と死の幻想」、「宝島」などの名作を録音。その後、新録音は休止。79年、インパルスは親会社のABCと共にMCAレコードに売却。95年MCA(96年からユニバーサル・ミュージック・グループに改称)傘下、GRPレコードのトミー・リピューマにより、インパルスをジャズ専門レーベルとしてスタートさせる。その新生インパルス第1弾が、62年このレーベルでデビューしたマッコイ・タイナーの「インフィニティ」です。この作品はマイケル・ブレッカーと共に創り上げたマッコイの会心作。現在インパルスは、ヴァーヴ・ミュージック・グループに入っています。 
 
◍  サヴォイ Savoy 
1942年にハーマン・ルビンスキーによって設立されたサヴォイは、地味なレーベルだが、いかにもマニア好みの渋いアルバムが多くある。スタートした頃のプロデューサーはテディ・ライクやバック・ラムで、彼らはビ・バップにいち早く目をつけ、チャーリー・パーカーの歴史的なレコーディングを行なった。53年プロデューサーにオジー・カデナを迎えてからは、モダン・ジャズとしてめきめき実績を上げてゆくようになる。カデナのアイデアで、J.J.ジョンソンとカイ・ウインディングによるトロンボーン・デュエットが実現、評判が良かったため、J.J.とカイは2トロンボーン・グループを結成、活動を続ける。又品格と寛ぎに満ち溢れたハンク・ジョーンズが、このサヴォイで数多くのレコーディングを残しています。そしてカデナは、勢いあふれるハード・バップの若手新人プレイヤー、リー・モーガン、ドナルド・バード、キャノンボール・アダレイ、ケニー・バレル等を起用して、フレッシュなアルバムを次々に制作していった。サヴォイには渋いが高い音楽性をもった作品が数多く見受けられる。それらの中でのヒット作は、カーティス・フラーの「ブルースエット」とミルト・ジャクソンの「オパス・デ・ジャズ」である。60年代に入るとサヴォイは、一転して前衛ジャズのアルバムを何枚か録音したが、後世に残るような作品は生まれなかった。サヴォイは現在、アメリカのサヴォイ・レーベル・グループに属しています。
 
◍  ベツレヘム Bethlehem 
ベツレヘムは1953年、ガス・ウィルディとジェームズ・クライドによって設立される。最初はポップスのシングルを扱うレーベルでスタートしたが、翌54年にジャズ専門レーベルへ切り替える。同年に白人の女性ジャズ・シンガー、クリス・コナーの「バードランドの子守唄」をジャズの第1弾として発表。この作品は評判を呼び、クリスにとってベツレヘムに残した3部作の始まりとなる。のちに名プロデューサーとなる若き日のクリード・テイラーが、このレーベルに在籍しており、テイラーはベテラン、新人を問わず、優れた才能をもつミュージシャンにスポットを当てて、幅広いアルバム作りを行なっていた。イーストだけでなく、西海岸にも本拠をかまえて、あくまでミュージシャン本位の質の高いアルバムを送り出していたのが大きな特徴。チャーリー・ミンガスをはじめ、ズート・シムズ、ニーナ・シモン、マル・ウォルドロン、ブッカー・リトル等が名作を残している。そんな中で、このレーベルの代表作としてマルの59年録音「レフト・アローン」があげられる。ビリー・ホリデイに捧げたタイトル曲が名演となってジャズ史に輝く作品となる。ベツレヘムは61年に売却し、活動を休止します。現在販売権は株式会社ウルトラ・ヴァイヴ(かつてソリッド・レコードというレーベルを運営していた)に移っている。 
 
◍  コンテンポラリー Contemporary 
コンテンポラリーは1951年、レスター・ケーニッヒによってロサンゼルスに設立された。このレーベルはウエスト・コースト・ジャズの作品が多い。まずアート・ペッパーは「アート・ペッパー・ミーツ・ザ・リズムセクション」、「ザ・トリップ」など50年代後半から70年代半ばに数多く名盤を残しています。ハンプトン・ホーズも代表作「ザ・トリオvol.1」を含む10作品以上吹込んでいます。又ソニー・ロリンズも、このレーベルで代表作「ウェイ・アウト・ウエスト」を残しています。さらにベニー・ゴルソンが、初リーダー作であり、代表作でもある「ニューヨークシーン」を57年に録音する。その他では、バーニー・ケッセルやシェリー・マン等の優れた作品があります。そして83年、コンテンポラリーはファンタジーに買収される。2004年にはファンタジーがコンコードに買収され、現在コンテンポラリーはコンコード・ミュージック・グループに属しています。 
 
◍  パシフィック・ジャズ Pacific Jazz 
パシフィック・ジャズは1952年、リチャード・ボックとロイ・ハートによりロサンゼルスに設立される。ウエスト・コースト・ジャズのブーム到来に、コンテンポラリーと共に大きく貢献を果たす。パシフィック・ジャズの記念すべき最初の作品が「オリジナル・ジェリー・マリガン・カルテット」である。この作品はウエスト・コースト・ジャズを代表するマリガンと、チェット・ベイカーの息の合った史上名高いピアノレス・カルテット。チェット自身も代表作「チェット・ベイカー・シングス」を録音。ジョン・ルイスも56年代表作「グランド・エンカウンター」を吹込む。その他、バド・シャンク、チコ・ハミルトン、ジョー・パス等の作品を残している。又クルセイダーズの前身のジャズ・クルセイダーズ時代にこのレーベルに所属していた。57年リバティに買収され、その後リバティも含めてレーベルがEMIに買収される。
 
◍  アーゴ / カデット Argo / Cadet 
アーゴはチェス・レコードのジャズ・レーベルとして1956年に設立された。チェス・レコードはポーランド出身のレナードとフィルというチェス兄弟が、40年代後半にシカゴにおいてブルースを中心としたレコード事業に参入、レーベルを買収し、50年レーベル名をチェスと改める。56年に設立したアーゴは、イギリスに同名のレーベルが存在していたことから、65年にカデットと改名される。アーゴの作品として、まずズート・シムズが56年に代表作「ズート」を録音しています。続いてケニー・バレルも代表作で「ア・ナイト・アット・ザ・ヴァンガード」が残されています。そして60年初頭にアート・ファーマーが録音。コンポ "ジャズテット"の記念すべき第1作で、人気盤「ミート・ザ・ジャズテット」。同年にもうひとつファーマーが、ワン・ホーン・カルテットの名盤「アート」を吹込んでいます。その他アーマッド・ジャマルやバリー・ハリスの作品が残されています。チェス・レコードは69年に売却する。現在音源はユニバーサル・ミュージック・グループ(前MCA)にある。 
 
◍  キャンディド Candid 
ケーデンス・レコード(ポピュラー歌手のアンディ・ウィリアムスが社長)のジャズ部門として1960年に設立されたキャンディドは、活動期間は2年と短いが、20数枚の優れた作品が発表された。時代の前衛にあるジャズを取り上げたため商業的には成功しなかったが、後年このレーベルの作品はどれも高く評価されるようになった。代表的な作品として、チャールズ・ミンガスの「ミンガス・プレゼンツ・ミンガス」、セシル・テイラーの「ザ・ワールド・オブ・セシル・テイラー」、マックス・ローチの「ウイ・インシスト」など、話題性に富んだ作品。このレーベルはピアニスト、オーティス・スパンの「オーティス・スパン・イズ・ザ・ブルース」でキャンディド第1弾としてスタートし、その他、あらゆるジャズメンがこのレーベルに参加しています。ブッカー・リトル、秋吉敏子、ブッカー・アービン、スティーヴ・レイシー、アビー・リンカーン、フィル・ウッズたちです。現在はロンドンに本社を置いて、新生キャンディドとして活動をしている。
 
◍  デビュー Debut 
1952年にチャールズ・ミンガス、妻セリア・ミンガス、マックス・ローチによって設立する。メジャーの制作方針に飽き足らなくなったミンガスは、自身の音楽の発表手段としてデビューを興した。50年代のマイナー・レーベルの中でも、際立って個性的である。このレーベルの代表作は、チャーリー・パーカー53年の「ジャズ・アット・マッセイ・ホール」。このライヴはパーカー、ガレスピー、パウエル、ミンガス、ローチら巨人5人が一堂に顔を揃えたビ・バップ最後のイベントと言える。又ミンガスの55年 "カフェ・ボヘミヤ" でのライヴやローチも62年 "ジャズ・ワークショップ " でのライヴがこのレーベルで収録されている。そしてミンガス自身がベースを弾き、ポール・ブレイやサド・ジョーンズら、個性的なミュージシャンの初リーダー・アルバムを多く制作してきた。72年、ファンタジーに吸収される。2004年、親会社ファンタジーがコンコードに買収され、デビューはコンコード・ミュージック・グループに属する。
 
 
 
◍  ヴィー・ジェイ Vee Jay 
ヴィヴィアン・カーターとジェイムズ・ブラッケンによって1953年に設立された。レーベル名は、2人のファースト・ネームの頭文字に由来している。ヴィー・ジェイはもともとブルース、R&B、ゴスペルなどのレーベル。シカゴに本拠を移し、各レコードをリリースし、ヒット曲が次々と生まれていく。60年代に入ると、ソウル、ロックなど幅広い作品を手がけ、62年にはイギリスから登場した新人グループ、ビートルズの〈プリーズ・プリーズ・ミー〉などのシングルをアメリカでリリースしている。ジャズの方では、50年代末から制作を始め、ウィントン・ケリーは59年から「ケリー・グレイト」、「ケリー・アット・ミッドナイト」など数多くの作品をこのヴィー・ジェイで録音している。その他、リー・モーガンやポール・チェンバース等の作品を世に送り出している。そして66年、ヴィー・ジェイは倒産する。 
 
◍  ESPディスク ESP-Disk 
ニューヨークにて1964年、バーナード・ストルマンによって設立される。ESPはフリー・ジャズを専門としたレーベルで、ヨーロッパで活動してきたアルバート・アイラーが、同年に母国アメリカの新興レーベルESPと契約してアルバムを吹込む。それは自身の最高傑作でもある「スピリチュアル・ユニティ」。この作品は、ジャズのみならず全音楽シーンに強烈なインパクトを与える大傑作であったことから、一躍N.Y.アンダーグラウンド・シーンの注目レーベルとなる。66年、スティーヴ・レイシーが代表作「森と動物園」を録音する。この作品はアルゼンチンのブエノスアイレスでのライヴ、カルテットで息もつかせぬスリリングな演奏が会場一杯に響きわたる。その他では、オーネット・コールマン、マリオン・ブラウン等の作品が残されている。そしてESPディスクは、2013年には設立50周年を迎えた。 
 
◍  マイルストーン Milestone 
マイルストーンは1966年、オリン・キープニュースとディック・カッツによって設立される。69年から演奏活動を中断していたソニー・ロリンズが、72年にこのマイルストーンで復帰。この時期流行しつつあったエレクトリック・ジャズの分野にも幅を広め、フュージョンの若手ミュージシャンと共演し、以前にも増して自信に満ちたプレイをしていた。ロリンズは「ネクスト・アルバム」、「ドント・ストップ・ザ・カーニヴァル」など、長期間にわたり、このマイルストーンで数多くの作品を残しています。そして、マッコイ・タイナーも「サハラ」や「フライ・ウィズ・ザ・ウインド」など18作品を残す。その他では、ジョー・ヘンダーソンがマイルストーン設立当初から録音され、10作以上及ぶ。ロン・カーター、フローラ・プリム等もこのレーベルで録音しています。マイルストーンは72年、ファンタジーに吸収される。2004年、親会社ファンタジーはコンコードに買収され、マイルストーンはコンコード・ミュージック・グループに属する。 
 
◍  ECM 
ECMは、1969年にマンフレート・アイヒャーによってドイツのミュンヘンに設立した名門レーベル。ECM第1弾がマル・ウォルドロンの「フリー・アット・ラースト」。このレーベルは独特の雰囲気を生み出し、多くの名作が生まれている。人気を誇るキース・ジャレットはソロ作品「ケルン・コンサート」、ヨーロピアン・カルテットで「マイ・ソング」、トリオ作品の「スタンダーズVol.1.2 」などの代表作含めて数多くの作品がこのECMに収録されています。チック・コリアも「リターン・トゥ・フォーエヴァー」や「トリオ・ミュージック」などの代表作を 残しています。又ジャック・ディジョネットは「スペシャル・エディション」を始めとする作品、パット・メセニーは「80/81」や「ファースト・サークル」などの代表作含め多くの作品がこのECMに収められています。その他、エンリコ・ラヴァ、ヤン・ガルバレク、エバーハルト・ウェーバー、ゲイリー・バートン、ポール・ブレイ等が代表アーティストです。そして、2008年にはECM誕生40周年を迎えました。
 
◍  パブロ Pablo 
パブロは1973年、ノーマン・グランツによって設立される。オスカー・ピーターソンは、この73年以降パブロ・レーベルにあって以前にも増して旺盛な演奏活動を行なっており、ディジー・ガレスピーやクラーク・テリー等ベテランのスターたちとの共演も多い。エラ・フィッツジェラルドもパブロ設立当初から数多くの作品を発表しています。グランツはお得意の大物同士の顔合わせセッションを繰り広げ、75年のミルト・ジャクソン、ジョー・パス、レイ・ブラウン等の「ザ・ビッグ3」。そのパスが一連のソロ作品「ヴァーチュオーゾ」で人気を獲得する。そして、サラ・ヴォーンは78年、オスカー・ピーターソン・ビッグ4との共演を皮切りに、80年代前半にかけてパブロ・トゥデイ(パブロの傍系レーベル)から出る新作は常にに優れた作品ばかりで絶好調だった。パブロは87年、ファンタジーに売却。2004年にはファンタジーがコンコードに買収され、パブロはコンコード・ミュージック・グループに属する。
 
◍  スティープルチェイス SteepleChase 
スティープルチェイスは1972年、ニルス・ウィンテルによって設立されたデンマークのジャズ・レーベル。60年代半ば以降、ロックやポップスが音楽シーンの主流となり、本場アメリカでもジャズは停滞する。一線級のミュージシャンであっても、苦境に立たされる。そんな時代に北欧の地から活動の機会を積極的に提供し続けてきたのがスティーブルチェイスである。このレーベルの代表作としては、一段と磨きのかかったケニー・ドリューのピアノ・トリオの名盤「ダーク・ビューティ」と、いぶし銀といわれるデューク・ジョーダンの「フライト・トゥ・デンマーク」があげられる。特にジョーダンは、62年からパタッとレコーディングが途絶えていて、カムバック後の作品。母国アメリカを離れ、1人北欧の地に根を下ろしたジョーダンの新たな意欲が伝わる。その後ジョーダンは、このレーベルで20枚以上のアルバムを残すことになる。その他、ジャッキー・マクリーン、デクスター・ゴードン、ポール・ブレイ等の作品があります。 
 
◍  ファンタジー Fantasy 
1949年にマックス・ウェイスとソル・ウェイスの兄弟によって設立される。ファンタジーは、50年代にデイヴ・ブルーベックの作品が録音されています。51年の「ブルーベック~デスモンド」は、ブルーベックがアルト奏者ポール・デスモンドとの名コンビをスタートした作品で、以後16年間にわたって名コンビを存続させることになる。60年代は、チャールズ・ミンガスの作品で、エリック・ドルフィーも参加した「タウンホール・コンサート」などを収録。70年代では、ビル・エヴァンスがこのレーベルに10作品以上残しています。またファンタジーはこの70年代にプレスティッジ、リバーサイド、マイルストーン、スタックス、デビューなどレーベルを次々と買収する。そしてファンタジーは、83年ジャズ専門レーベル、オリジナル・ジャズ・クラシックス(OJC)を設立。ジャズ再発のLP,CDをこのOJCレーベルから発売し、現在も続いています。ファンタジーは90年代まで各レーベルを買収続けますが、2004年コンコードに買収され、ファンタジーは、コンコード・ミュージック・グループの傘下に入ります。 
 
◍  ギャラクシー Galaxy 
ギャラクシーは1951年、ファンタジー・レコードの子会社として設立したジャズ・レーベル。ジャズの活動は70年代後半から80年代半ばにかけてとなる。アート・ペッパーは、78年の「トゥデイ」を皮切りに数多くギャラクシーに吹込んでいます。その中で、ペッパーが晩年に残した唯一のウィズ・ストリングス作品「ウィンター・ムーン」が印象的。トミー・フラナガンとハンク・ジョーンズも、ふたりの息の合ったデュオ作「アワ・デライツ」など、それぞれが数々の作品をギャラクシーに残しています。そしてジョニー・グリフィンが長いヨーロッパでの活動から戻って、アメリカで15年ぶりの録音となる78年「リターン・オブ・ザ・グルフィン」をはじめ、7枚程の作品がこのレーベルにあります。その他では、レッド・ガーランド、ロン・カーター、フィリー・ジョー・ジョーンズ等の作品もここに残しています。 ファンタジーが買収されましたので、現在はコンコード・ミュージック・グループに属する。
 
◍  コンコード Concord 
コンコードは1972年、カール・ジェファーソンによって設立された。サンフランシスコ近郊にあるコンコードで開かれていたジャズ・フェスティバルを後援し、このフェスティバルの演奏を収録する。出演したミュージシャンの演奏を世に広めるために生まれたのがコンコード・ジャズ・レーベル。そのコンコード・ジャズが初めて世に出したアルバムがハーブ・エリスの72年「ジャズ/コンコード」。これはフェスティバルでジョー・パスと組んだカルテット。エリスはコンコードに15作品程残しています。70年代末から80年代前半にかけ、ジャズ大物アーティストがコンコードに次々と録音していく。スタン・ゲッツは、81年のサンフランシスコでのライヴ「ドルフィン」をはじめ、80年代に数枚録音し、円熟味を増した演奏を発揮。アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズが若手ミュージシャンの登龍門として注目すべき存在になってきたのは、ジャズ・メッセンジャーズにウイントンとブランフォードのマルサリス兄弟を迎えたコンコード作「キーストーン3」あたりと言える。タル・ファーロウは、82年「クッキン・オン・オール・バーナーズ」など70年代から6枚程録音しています。カーメン・マクレエもジョージ・シアリングとのデュオ作品「トゥー・フォー・ザ・ロード」など数枚程残しています。その他、デイヴ・ブルーベック、ケニー・バレル、アート・ファーマー等がこのレーベルに参加しています。コンコードは、2004年にファンタジーを買収。コンコード・ミュージック・グループを形成し、ジャズ最大手のレーベルとなる。 
 
◍  キャピトル Capitol 
キャピトルは、1942年に ジョニー・マーサー、グレン・ウォリクス、バディ・デ・シルヴァ等によって設立。40年代から50年代にアメリカン・ポップスの黄金時代を築き、50年代にはナット・キング・コールとフランク・シナトラというポピュラー界の大スターが活躍。特にコールは、ジャズ・ピアニストとしても含め、40年代半ばからキャピトルで長くプレイをしている。又スタン・ケントンもバンドを率いて、40年代から60年代にかけ相当な数の作品をキャピトルに残しています。マイルス・デイヴィスが49年から50年にかけて、キャピトルで合計3回のレコーディングを行う。それはノネット(九重奏)での作品「クールの誕生」である。以後クール・ジャズという演奏は一種のブームとなった。キャピトルは55年、EMI傘下に入る。そしてキャノンボール・アダレイが60年代から70年代にかけキャピトルに20作品程録音している。中でも、8ビートを取り入れ、ファンキーな「マーシー・マーシー・マーシー」が大ヒット。バックを務めるジョー・ザヴィヌルの作曲であるタイトル曲がゴスペル・タッチのソウルフルなメロディーが評判を呼ぶ。キャピトルからデビューしたナンシー・ウイルソンも、主に70年代まで数多くの作品をここに残しています。キャピトルは83年、リバティを買収。ブルーノート、ユナイテッド・アーチスツ、リバティ、パシフィック・ジャズなどの音源を保持している。2012年、親会社EMIの音楽部門Iがユニバーサル・ミュージック・グループに買収され、キャピトルはそのグループに属する。
 
◍  ユナイテッド・アーティスツ United Artists 
ユナイテッド・アーティスツは、1958年に映画サウンドトラックを配給するため設立したレーベル。68年にリバティと合併する。ジャズ作品は、アート・ファーマーの評価の高い58年の定番作「モダン・アート」。これはベニー・ゴルソンとの2管フロント作品で、" ジャズテット" の予告編ともいえるもの。2人の円やかな対話も魅力十分。ビル・エヴァンスの参加もセッションをきりりと引き締めている。又同年ミルト・ジャクソンの作品で、ファーマー、ゴルソンをフロントに迎え、ミルトがスリリングなソロを聴かせる「バグス・オパス」があります。 そして、62年のビル・エヴァンス「アンダーカレント」。"インタープレイ "を、ジム・ホールと、デュオのフォーマットで実践した作品。息詰まる技の応酬を繰り広げる名盤。その他、ブッカー・リトル、アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ等の作品をこのレーベルに残しています。ユナイテッド・アーティストは79年、EMIに買収される。現在音源はキャピトルが保有する。
 
◍  リバティ Liberty 
リバティは1955年、サイモン・ワロンカーによってハリウッドに設立された。ポップス系ヒット・ナンバーを数多く輩出したレーベル。リバティは、最初にヒット曲〈クライ・ミー・ア・リバー〉を出したジュリー・ロンドンに、その後、エディ・コグラン、ボビー・ヴィーほか多数のスター達を擁し、50年代から60年代に西海岸のメジャー・レーベルとしてポピュラー音楽界に君臨しました。この様にジャズ・レーベル専門ではありませんが、ジャズ・フュージョンのミュージシャンが数多く、このリバティに録音しています。ビリー・ホリデイやペギー・リーの歌伴で知られるジミー・ロウルズのピアノ・トリオ作「レア・バッド・ウェル・ダン」。そして、アール・クルーは「レイト・ナイト・ギター」、「クレイジー・フォー・ユー」などを吹込む。その他、ロニー・ロウズ、バド・シャンク、バディ・リッチ、ジャズ・クルセイダーズたちです。リバティは68年、ユナイテッド・アーティスツと合併。83年、キャピトルに買収され、現在キャピトルに吸収されてます。 
 
◍  ルーレット Roulette 
1956年、モーリス・レヴィによって設立されたルーレットは、ジャズだけでなく数多くのポピュラー・アルバムの制作を行っていた。ルーレットは、58年にルーストを傘下におさめる。そのルーストは、多くの傑作を生み出している。バド・パウエルのモダン・ピアノ・トリオの代表的な演奏として、多くのピアニストに多大な影響を与えた「バド・パウエルの芸術」。クール・サウンドでスタン・ゲッツの代表作「ザ・コンプリート・ルースト・セッションVol.1」。歌心豊かなソロを聴かせるソニー・スティットの代表作「ペン・オブ・クインシー」など。ルーレットの方では、ジャズ・クラブ "バードランド " のオーナーであるレヴィが、このクラブによく出演していたカウント・ベーシー、サラ・ヴォーン等を多く録音されている。ベイシーは最も充実していた50年代末から60年代半ばにかけて20作品程、サラも油の乗り切っていた60年代前半に10作品程このルーレットに残されている。その他では、ダイナ・ワシントンやジェリ・サザーン等のアルバムも残されています。
 
◍  エンヤ Enja
エンヤは1971年、ホルスト・ウェーバーとマティアス・ウィンケルマンによってドイツのミュンヘンで設立された。当時ヨーロッパには多数のアメリカ人ジャズ・ミュージシャンが活動の拠点として移住しており、その中のひとり、マル・ウォルドロンが同年にエンヤの第1弾として、ピアノ・トリオのライヴ「ブラック・グローリー」を録音する。以後マルはエンヤで長くプレイを続け、10作品程残しています。エンヤには数多くのミュージシャンが参加しています。セシル・テイラーは、3管ホーン新ユニットで凄まじいパワーが展開する76年作「ダーク・トゥ・ゼムセルブス」を録音しています。トミー・フラナガンは、ジョン・コルトレーンの名曲を集めた82年のアルバム「ジャイアント・ステップス」など8作品を残しています。又エルヴィン・ジョーンズは90年代のニュースター3人をフロントに据えた「ヤングブラッド」を92年に録音。そして日野皓正、山下洋輔ら日本人ミュージシャン達は、すでに70年代からエンヤに参加していました。その他、ジュニア・マンス、セシル・マクビー、ジョン・スコフィールド等もエンヤに作品を残しています。 
 
◍  フォンタナ Fontana 
フォンタナは1954年にオランダで設立される。イージーリスニングやロックを中心とした総合レーベルで、ジャズはヴォーカル、フリー・ジャズなどが主に含まれる。64年6月、エリック・ドルフィーが急死直前のアムステルダムでのライヴ「ラスト・デイト」をフォンタナに残している。アドリブに命を懸けたドルフィーらしく、このライヴでも燃えるようなソロがキラリとした輝きを示していた。続いてザ・ジャズ・コンポーザーズ・オーケストラの64年12月と65年4月録音「コミュニケーション」が残されています。この作品はスティーヴ・レイシー、アーチー・シェップ、ラズウェル・ラッドら前衛派のジャズメン達が一堂に会した貴重なライヴ。新たに獲得した自由を、表現可能なオーケストラで追求・発展させる意欲作。人懐っこい歌声で人気のあるブロッサム・ディアリーもジャズ・クラブ " ロニー・スコッツ " における67年録音「スウィート・ブロッサム・ディアリー」など数枚を残している。その他、ズート・シムズ、ポール・ブレイ、リタ・ライス、ジョン・ヘンドリックたちもフォンタナに録音されています。
 
◍  その他のマイナー・レーベル 
ジャズ希少盤の宝庫として知られるジュビリーは、50年代半ばにニューヨークで生まれたマイナー・レーベル。チャールズ・ミンガスのベース・ワークがじっくりと聴ける「ミンガス・スリー」やジャッキー・マクリーンのネコ・ジャケットでお馴染みの初リーダー作品など、けっこう楽しい作品がある。だがマイナー・レーベルは、ほとんどがきわめて短命に終わっている。それは生み出された作品内容の良し悪しとはあまり関係がない。おそらくはレーベルを維持してゆくための資金力や、販売の方法などに、何らかの問題があったと思われる。トム・ウイルソンが55年にボストンで作ったトランジションは、これも希少価値のあるレーベルと言えます。セシル・テイラーのデビュー作「ジャズ・アドバンス」をはじめ、ドナルド・バード、タグ・ワトキンスらの優れたアルバムが何枚もあったが、わずか3年程で倒産した。そして、アメリカ西海岸にも50年代半ば、いくつものマイナー・レーベルが生まれ、すぐに消えていってしまう。イントロも、そのようなもののひとつで、ここにはアート・ペッパーの名盤「モダン・アート」があり、この作品によってイントロは、いまなおファンの間にその名をとどめている。その他西海岸には、ジャズ・ウェストタンパというマイナー・レーベルがあり、ここにもペッパーの名作が残されています。