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 モダン・ジャズとは、40年代初めのビ・バップから60年代までに登場したジャズの演奏スタイルの総称である。その中で60年代に登場したフリー・ジャズは、モダン・ジャズとは別枠でとらえることが多いです。又、ここに記載のフュージョンは、モダン・ジャズから除きます。      


 

 スイング時代の末期を飾ったのは、ダンス・ミュージックで黄金時代を築いたグレン・ミラーであった。彼の楽団は
39年に数々の大ヒットを放ってピークに達するが、その後は徐々に人気を失ってしまう。38年にカーネギー・ホール
でコンサートを開催したベニー・グッドマンですら、かっての絶大な人気をその後も維持することは出来なかった。スイ
ング・ジャズの衰退に伴い、それらのバンドにいた若く創造的なミュージシャンたちがより刺激的で新しい感覚をもった
ジャズを演奏し始めたのがこの頃のことだ。 
 グッドマン楽団のチャーリー・クリスチャンやキャブ・キャロウェイ楽団にいたディジー・
ガレスピーといった若手が、通常の仕事を終えた後、ハーレムの“ミントン・ハウス”でジ
ャム・セッションに興ずるようになったのは、30年代末から40年代初頭にかけてのこと
である。この時期、同クラブのハウス・バンドで演奏していたのがセロニアス・モンクやケ
ニー・クラークで、彼らの情熱と創造力が後にビ・バップと呼ばれる新しいジャズの原形
を生み出していく。更にはジェイ・マクシャン楽団にいたチャーリー・パーカーもこの仲間
に加わり、ビ・バップはスイングにとって変わるモダンなスタイルのジャズとして、徐々に
完成された形へと発展を遂げる。
 
  Charlie Parker
 モダン・ジャズは、ジャズ年表をご覧になればわかる様に、さまざまなスタイルの移り変わりがあり、ビ・バップこそ
モダン・ジャズのさまざまなスタイルの基礎。当時ポピュラー&ダンス音楽として広く聴かれていたスイング・ジャズと
はえらく違った音楽で、アグレッシブであり、圧倒的なスピード感、複雑なアドリブ・プレイに人々は驚愕した。太平洋
戦争をはさんで40年代に進行したそのビ・バップが、モダン・ジャズ史の扉を開いたのである。           


         

 40年代後半になると、クール・ジャズと呼ばれる音楽が生まれた。ビ・バップは熱く、激しく、荒っぽい。それに対して、クール・ジャズは冷静で、知的な雰囲気を持っているのが大きな特徴だ。それでいて独特のかっこよさもある。しかし、クール・ジャズは、それほど大きなムーブメントにならなかった。
 そして、次に起こったムーブメントがウエスト・コースト・ジャズ。文字どおり「西海岸のジャズ」だ。50年代前半は、ニューヨークのジャズ界は不況で、西海岸はハリウッド映画のサントラなどの豊富なスタジオの仕事が沢山あったので、ジェリー・マリガン、シェリー・マンといったニューヨーク派をはじめとする多くのミュージシャンが仕事を求めてロスに集まってきた。ジャズというと、黒人の音楽というイメージもあるのだけど、ウエスト・コースト・ジャズは白人のミュージシャンが大勢を占めている。その白人のミュージシャンはビッグ・バンドの出身者が多いので、ウエスト・コースト・ジャズは必然的にアレンジメントを強調する演奏が多くみられた。この事からもわかる様に、編曲を重視するビッグ・バンド・ジャズの音楽性とビ・バップのアドリブがドッキングしたのがウエスト・コースト・ジャズである。 Gerry Mulligan
  


    

 つづいて、白人が中心のウエスト・コースト・ジャズに対して、東海岸のニューヨークでは、黒人が中心のイースト・
コースト・ジャズ。これがイコール、ハード・バップだ。4ビート・ジャズとかいう場合のほとんども、このハード・
バップ・スタイルの演奏を指している。ハード・バップは、ビ・バップの流れを受け継ぐような形で、ビ・バップの延長上
に自然に生まれてきた。あくまで即興演奏に重点がおかれ、アレンジは比較的単純で、エモーショナルな面が強く打ち
出されている。ビ・バップは、複雑なコード・チェンジに基づいた激情的な即興演奏に特徴があったけれども、ハード・
バップはビ・バップの特徴とも言えるそうした要素を受け継ぎながらも、より黒人的な、泥臭いフィーリングを前面に出し
ていったところに、大きな特徴がある。
 
 マイルス・ディビス・クィンテット、クリフォード・ブラウン〜マックス・ローチの双頭クィン
テット、そしてアート・ブレキー&ジャズ・メッセンジャーズ、これらのジャズ・グループがハ
ード・バップのムーブメントの核となった。黒人のジャズメンがかつてないほど黒人らしさを
主張し、より自由を謳歌する時代が到来したのである。このハード・バップは一大ムーブメ
ントとなり、のちにモダン・ジャズの黄金時代と呼ばれるようになった。そして、ハードバッ
プをもっと黒人ぽく、教会音楽ゴスペルの要素などを取り入れて黒人独特のフィーリング
を強調したのがファンキー・ジャズである。ファンキー・ジャズが広く流行するようになった
のは、50年代後半、ハード・バップ・ブームの流れを受けてのことで、ここに50年代の黒
人ジャズは頂点を迎えることになる。

Art Blakey
 ハード・バップは、ジャズが本来の黒人音楽にもどって、改めて黒人であることの誇りと尊厳を高らかに歌いあげたもの
だったが、ファンキー・ジャズではそういった黒っぽさが、よりいっそう強調されている。なかにはリズム・アンド・ブル
ースやソウル・ミュージックに近いようなものもあるけれども、あらゆる意味で黒っぽさが極限まで追求されていたのが、
この時代のファンキー・ジャズである。一方ブルーノート、プレスティッジ、リバーサイドといったジャズ専門のレーベル
も活況を呈して、ビジネス的にも大きな発展を遂げた時代だった。


 

 さらに時代が進むと、コード・チェンジをひんぱんに行わずに、よりメロディックでいっそう自由なアドリブを可能とするモード・ジャズの登場である。これによってアドリブの時間が長くなった。このように50年代の後半は、いろんなモダン・ジャズのスタイルが同時進行していたのだ。モード・ジャズは、60年代に入りさらにモダンな感覚を伴った演奏へと発展する。マイルス・クインテットの面々が中心となり、やがてその音楽は、「新主流派ジャズ」と呼ばれて、広く普及していく。
 次は、モード・ジャズと時代をほぼ同じくして興ったフリー・ジャズである。ビ・バップ以降、モダン・ジャズに入って定式化された、一定のコード進行にもとづく従来の演奏にマンネリ化、限界に達し、コード進行に縛られるかぎりでは、早晩どんな演奏も似たり寄ったりにならざるを得ないという見通しが、ジャズの最先端を目指す意欲的なミュージシャンの目には、明らかになり始めていたのである。そこに降って湧いたように出現したのが、オーネット・コールマンである。既成のジャズの概念を破壊したフリー・ジャズは、人種差別に対して相次いで黒人暴動が起こり、ブラック・パワーが台頭した激動の60年代を象徴するムーブメントとなった。
  Ornette Coleman
 そして、ジャズ・シーンの動向に絶大なる影響を及ぼしてきたマイルス・ディビスが、60年代末からエレクトリック・サウンドを大胆に取り入れた方向性を打ち出して、楽器、リズムの両面でロック・イディオムをジャズの世界に導入した。これがのちにフュージョンと呼ばれるスタイルのルーツとなった。70年代はマイルス・ディビスをはじめ、ハービー・ハンコック、ウェザー・リポートなどの活躍によりフュージョン全盛時代となった。