マッコイ・タイナーは、1938年12月11日にペンシルバニア州フィラデルフィアに生まれ、17才の時に、1950年代中頃、カル・マッセイ・バンドに入っていた。そのころ、ジョン・コルトレーンと初めて会っている。その後コルトレーンは、マイルス・デイヴィス・グループに入り、マッコイは、そのままカル・マッセイ・バンドで続ける。 1959年ベニー・ゴルソンが、ジャズテットを結成する。同じフィラデルフィア出身のベニー・ゴルソンはマッコイを誘い、マッコイはジャズテットに入る。一方、コルトレーンはマイルス・デイヴィス・グループにいたが、1960年に独立、自己のグループを結成にあたり、マッコイを誘う。1960年10月マッコイに、スティーヴ・デイヴィス(ベース)、エルビン・ジョーンズ(ドラム)が参加し、コルトレーン・カルテットで、初めて録音したのが〈マイ・フェイヴァリット・シングス〉であった。その後マッコイは、ジョーンズらと共にコルトレーンを支え、「インプレッションズ」、「バラード」、「至上の愛」などの作品に参加し、多くの名盤を生み出す。 1962年に、マッコイは初リーダー・アルバム「インセプション」を発表。その後、インパルスから次々とリーダー作品を吹き込み、自己のスタイルを確立した。そして、コルトレーンがフリー・ジャズに傾倒するのを良く思わず、1965年12月にマッコイは、コルトレーン・グループを退団する。この5年半にも及ぶコルトレーン・グループでの活動は、その後の彼の歴史を大きく展開させた。優れた洞察力をもちつつも非凡な才能は十分に開花させ、精神面でも強く影響を受けたという。 コルトレーンから独立後、1967年ブルーノートと契約し、「リアル・マッコイ」などのリーダー・アルバムを発表。1970年頃までのブルーノートでは、独自の音楽を追求し、次第にアフロ・アメリカン志向を深めていく。1971年後半には、ソニー・フォーチュン(サックス、フルート)、カルヴィン・ヒル(ベース)、アル・ムザーン(ドラム)を従えたレギュラー・カルテットを編成し、同年マイルストーン・レコードに移籍。翌72年の「サハラ」の録音から約10年間に渡るマイルストーン時代は、コルトレーンの遺産を継承し、それを独自のアイデアで発展させた絶頂期だったと言える。。スケールの大きい楽想やエネルギッシュな創造力には理屈抜きに聴く者を圧倒する迫力が溢れていた。編成がトリオであれ、ホーン入りの中型であれ、ビッグ・バンドに比肩するパワフルなサウンドを鳴らし続けたことが、マッコイらしさの象徴であった。 新伝承派が台頭した80年代前半が、マッコイ・タイナーにとって苦しい時期だったが、しかし、80年代後半に入ってからトリオを中心に、徐々に実力を発揮し、存在感を示していった。その後、ソロからビッグ・バンドまで、あらゆる表現手段を使って数多くの作品を制作し、又ライブ活動も行ってきた。2016年もツアー活動を行っていました。そして、2020年3月6日に81歳で亡くなりました。 代表作 : リアル・マッコイ、フライ・ウィズ・ザ・ウインド、インフィニティ マッコイ・タイナーのサイト |