WYNTON KELLY |
ジャマイカ出身。心地よいスイング感とケリー節といわれる独得のフレージングにより、人気が高かったジャズ・ピアニスト。 ウィントン・ケリーは、15歳でプロ入りを果たし、ハル・シンガーやエディ・ロックジョウ・デイヴィスのもとで腕を磨いたあと、1951年、19歳の時にブルーノートへ初リーダー作品を吹込む。当時ケリーは歌手のダイナ・ワシントンの伴奏者として活躍していた時期で、この後54年にはディジー・ガレスピー楽団に参加して注目を集めはじめる。50年代半ば、再びダイナ・ワシントンやチャールズ・ミンガスらと共演。その後ケリーは、トリオを率いて活動し、リバーサイドやヴィー・ジェイに重要なリーダー作品を録音する。 59年には、マイルス・デイヴィス・バンドに加入し、傑作「カインド・オブ・ブルー」の2曲目〈フレディ・フリーローダー〉のみの参加。そのあとのマイルスのアルバム「サムデイ・マイ・プリンス・ウイル・カム」などのレコーディングに参加していき、63年までマイルス・グループに在籍する。こうしてケリーは、サイドメンとして他にも多くのジャズメンに参加している。ジョン・コルトレーン、ジョニー・グリフィン、ハンク・モブレーなど。 63年以降ケリーは、ポール・チェンバース、ジミー・コブらと再びトリオを組んで活躍。このトリオは後にウエス・モンゴメリーとの共演ですばらしい演奏を聴かせる。あらゆるジャズ・ファンに愛されたケリーは、カナダのトロントにて39歳で亡くなる。 代表作 : ケリー・ブルー、ケリー・アット・ミッドナイト |
![]() 1931.12.2 - 1971.4.12 Wynton Kelly Site |