Herbie Hancock 

 ハービー・ハンコックは、1940年4月12日にイリノイ州シカゴに生まれる。1960年にドナルド・バードに見い出され、バーのクインテットで演奏活動して脚光を浴び、1962年には、ブルーノート・レーベルにてデビュー作「テイキン・オフ」を録音して、オリジナル曲〈ウォーターメロン・マン〉がモダンジャズの大ヒットとなり、人気ピアニストの仲間入りを果たし、ブルーノートのハウス・ピアニストとしても以後活躍する。この後エリック・ドルフィー・グループに参加。63年にはマイルス・ディヴィス・クインテットに参加し、68年までグループに籍を置き、マイルスが〔新主流派ジャズ〕を展開していく重要な一翼をになった。そういう中で、65年にテナー・サックスのジョージ・コールマン、トランペットのフレディ・ハバードらとモード・ジャズにフリー・ジャズからの影響も加えたハンコックの代表作「処女航海」を録音する。

 69年にはブルーノートを離れ、ワーナー・ブラザーズ・レコードに移籍。「ムワンディシ」、「クロッシングス」などの作品を録音。60年代末ごろになるとマイルス・ディヴィスは、エレクトリック・サウンドを取り入れる。のちにフュージョンと呼ばれるようになった音楽はここから始まった。70年代フュージョン・ブームが来る。ハンコックは、72年にコロムビアに移籍して、そのブームに乗り新グループを結成した73年にブラック・ファンク作品「ヘッド・ハンターズ」が大ヒットとなる。その後この流れに沿ったボーカル、シンセサイザーなどを取り入れたフュージョン・サウンドを志向するかたわら、76年には、60年代のマイルス・グループのマイルスがフレディ・ハバードに代わっただけの同じメンバーでモダン・ジャズ・グループ "VSOPクインテット"を結成し、4ビート・ファンからも喝采を浴びた。

 80年代に入ると、81年作品「ハービー・ハンコック・カルテット」では、20歳のトランペッター、ウィントン・マルサリスが参加し、東京のスタジオで収録された。83年には再び大ヒット作が生まれる。これはファンクやロックもカバーするクリエイティブな音楽集団マテリアルと組んで、ヒップ・ホップ・サウンドを導入した83年作品「フューチュア・ショック」である。ハンコックがこれまでに残してきた作品以上にジャンルを超えて大ヒット。これを聴きますと、60年代のブルーノート作品と同じ人の作品とは思えないほどジャズとはほど遠い作品と言えよう。それ以降も同型作を発表している。そして、98年には偉大な作曲家ジョージ・ガーシュウィンの生誕100年に発表した「ガーシュウィン・ワールド」、また2002年にはマイルス・デイヴィス、ジョン・コルトレーンの生誕75周年を記念してマイケル・ブレッカーらと共演して「ディレクションズ・イン・ミュージック」を発表。1960年代以降から現在まで人気が高く、ジャズ&フュージョン界をリードする第一人者として活動を続けている。

 代表作 : 処女航海フューチュア・ショック

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